城下町 飫肥(おび)

九州の小京都

 鵜戸神宮を南へ約10キロ行くと漁港油津に入る。さらに、油津から都城へ抜ける国道222号線を北へ行くと、日南の市街地を抜け、落ち着い城下町 飫肥にたどり着く。飫肥は昔から、「九州の小京都」と呼ばれている。

 中世の頃から日向では、伊藤と島津が長い争いを繰り返した。特に飫肥城をめぐる攻防は84年と続いたという記録が残っている。

 伊東飫肥藩として安定したのは天正15年(1587年)豊臣秀吉が九州征討の時、伊東祐兵の尽くした功績に対して飫肥領が与えられてからである。

天然の要害

 飫肥城は古くは『飫肥院』の跡とも言われているがいつごろ創建されたかは明らかではない。

 盆地中央に突起した「大地」に、西は、10数丈の断崖をなして酒谷川で仕切り、南と東は武家屋敷をめぐらし、北も台地続きの「平山城」である。

みどころ

歴史資料館

 城域は周囲2.7キロ、面積20ヘクタールで、明治4年に全ての楼閣は取り壊されたが、昭和53年大手門が復元された。その後、「歴史資料館」と居館が建設された。

江戸城や大阪城と同じ櫓(やぐら)門風の大手門

おび天とは魚のすり身で作ったてんぷらのこと。揚げたてを一度食べてみてはいかが?

〜参考資料 

「城下町 飫肥ガイド」

         吉田 常政 著 〜